彼女とか一夫一妻制

目的

なんか今日はキーボードを打ちたい気分だったってことと、ラブソングばっか聞いていてハァー???ってなってるのでこんな記事を書こうかなと思います。

彼女ができない件について

だいたいこんな話を友人にすると、お前は理想が高すぎるって言われる。たしかにそうかもしれない、あまり自覚はないがきっとプライドが高くて妥協を許せない性格なんだと思う。

正直女性にモテると感じたことは一度もないし、表立って好きと言ってくれるような勇気のある人は今の所現れていない。それでも彼女ができそうになったことは幾度かある。もちろん現時点に至るまで彼女がいないのは、そうなった時に自分がそれを拒んだからである。

そもそも自分はあまり交際に興味がない。たぶん。彼女が20年弱いないことに関してはやはり少し悔しいし、そう言った意味での幸せを獲得している友人を羨ましく思うこともある。

しかし自分は登下校を彼女と共にしたいとは思わないし、共に食事に行きたいとも思わないし、彼女の手料理が食べたいとも思っていない。これは自分が誰とも交際したことがない故に思うことかもしれないが、交際していない人と登下校を共にしたことはあるし、共に食事をし1日共に過ごしたこともあるし、手料理を食べたこともある。だがそのいずれもそれをもう一度経験したいと思うほど自分に何かを感じさせたりはしなかった。

例えば登下校に関して言えば自分はその時間を有意義に過ごすため、自らの気に入った音楽を自分の気に入っているイヤホンで聞くという趣をかれこれ4年前に獲得している。また、食事は可能である限り自分の食べたいものを食べたい時に食べるようにしているし、誰かが作った手料理よりとても美味しい手料理を求めている。

流石に自分で交際経験がなくとも友人の話などを聞いていれば交際たるものがどんなものかということは流石にわかる。だが自分にはその話の中の交際に特に魅力を感じない。

登下校は共にしなくていいし、共に食事をするにあたって食事をする以上の目的がないなら共に食事もしなくていいし、手料理が特別上手でないなら振舞わなくていい。もっというなら無意味な雑談をLINEで繰り広げてほしくもないし、特別話が面白くないなら通話もしなくていい。

ただし、お笑い芸人のように話の面白い人間であったり、石塚英彦のようにすぐれた食レポができる人間であったり、家庭料理を高いレベルで作ることができる人間なら話は別である。自分はそう言った女性と共にいたいと思うし、実際そうしている。

ただ、この世界に話が面白くて食レポが上手で料理が上手くてかわいくてスタイルが良くて勉強ができて歌が上手くて人の話を聞くのが上手くて服がおしゃれな女性など存在し得ないのだ。するとどうだろう、自分は毎日異なる素晴らしい能力を持った女性と共にいたいと思うのだ。

だが交際においては複数人同時に交際することはタブーという暗黙のルールがある。もちろん自分はこの暗黙のルールと日本の一夫一妻制の結婚の仕組みには大いに反対だが、実際そうである以上、気に入った優れた能力を持った女性全員と交際することはできないのである。

このような理論の果てに自分は完全無欠の超人としか交際することができないといった具合になる。別に良い、例えば妥協で完全無欠でない女性と付き合っても良い。方法はいくつかあるが、最も簡単な方法は交際している女性に他の女性と接触することを全面的に許可してもらうとか、あるいは秘匿するとかがある。俗的な言葉を使うなら浮気というやつなのではないかなこれは。

たしかに自分に彼女ができないということを少し残念に思っているが、だがそれは妥協の上にも浮気の上にもできて欲しくないと思っている。なにせ彼女ができた時の喜びなどというものは今の自分の生活の中の喜びの中で特別なものにはなり得ないだろうし、他の喜びの方がよりスマートに手に入ると思う。

なんかまだ書き足りないんだけど疲れたからいいや、さっさと一夫多妻制になれ

嘘をつく日がおわったので

昨日はエイプリルフール!!!

昨日はエイプリルフールでしたね!Twitterでは企業がネタツイートをしたり、アイコンを入れ替えたり、YouTubeではYouTuberのみなさんがこぞってネタ動画を作るなど、エイプリルフールの楽しみ方も色々と変わってきているなぁと感じる1日でした。しかし、インターネット上でのエイプリルフール意識に比べると、実生活上でのエイプリルフールは結構質素だったなぁと思いました。朝起きてLINEで嘘を送ってくるものもおらず、家族も特に何も嘘をつくことはなく、バイト先でも普段と変わらない日曜日の営業をしました。まあ僕に限った話かもしれないのでこの辺で。

今日は嘘についての記事を書いてみようかなと思う。

正直、嘘自体に大した興味はない。心理学者とかは嘘をつく心理について考え、表現者は嘘について賛否や持論を展開したりする。  嘘の話とは直接関係はないが、僕は何が正しいとか間違っているとかいうのは嫌いだし、そんなものに断言可能な答えなど存在し得ないと思っている。ものの正誤というのは一定の規則に従っているか否かを表しているだけに過ぎない。たとえば1+1=3という式が間違っているというのならばわかる。それは算数の世界において規則に従っていないからだ。だけど人の世の中、ましてや生物の生きる世界にこれといった規則は存在しない。これは別に法律とか宗教における思想を否定するという訳ではない。ただ、何者かによって作られた規則を守る価値というのはつまるところ、それが守るに値するかどうか、自分で判断するものであり、必ずしも従う必要はないことだと思う。僕は牢屋に閉じ込められるのは嫌だし、法律は守ることにするよ。

嘘の話に戻ろう、嘘においても嘘をつくことが良いことと言ったり悪いことだと言ったりする人がいる。僕も小学生の時親に嘘をついてそれが後でバレてこっぴどく叱られたあと、嘘はついてはいけないと教わったものだ。そんな小学生のころから随分と時が流れたが今僕がもっている嘘についての考え方はこうだ、「バレる嘘はつかない方が良い。決してバレないと確信できる場合を除いて嘘をつくのは得策とは言えないだろう」、と。

理由はいくつかあるがまず、バレない嘘をついてもいいと思う理由は、決してバレない嘘というのは真実と同じ価値をもつと思うからである。例えば、歴史の教科書に書かれている内容を皆はきっと覚えている限り、めったに疑わないだろう。自身で確かめようのない情報というのは嘘である確率があるにも関わらず、人はそれを基本として疑わないのだ。そして疑問を生じさせる何かが訪れない限り、人はそれを真実だと思うものだ。こうなってくるとバレる要素のない嘘はついてしまったところで事実上真実になると思う。  バレる嘘をつかない方がいいのは上記の理由の逆である。例えば、友人二人に対し、片方に真実、片方に嘘をいうとしよう。その場合その二人が情報を共有してしまった時点でどちらかないしは両方が嘘であるという疑いが二人のなかにはうまれるものだ。そして、二人は自分に真実は何かと尋ねるだろう。これでもし真実を教えてしまうなら、そもそも最初に嘘をつく意味はなくなってしまうものだと思う。

アニメを見ていたら稲妻にうたれてしまった話

まあよくあることなのだが

よくあることなのだが,教養を深めるためにアニメを見ていた時のことだ.主人公が放ったセリフによって俺の中に新たな問題が提起され,それについて考えたというのをブログに綴っておいて後で見返そうと思ったので,今書いている.

関係ないことだが

映像作品はいいぞ,本と違い触れなくても勝手に情報が入ってくる.アニメ,ドラマ,映画は良い.

さて問題のセリフとは

今回の稲妻は「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」アニメ第5話からである. このアニメを全て網羅しているわけではないので詳しくはないが,主人公はライトノベルにありがちなモテない男子から突如としてハーレムコースに進むみたいな設定である.

さて問題のセリフは以下のセリフである.

俺は優しい女の子は嫌いだ。 ほんの一言挨拶を交わせば気になるし、メールが行き交えば心がざわつく。電話なんか掛かってきた日には着信履歴を見てつい頬が緩む。 だが知っている、それが優しさだということを。 俺に優しい人間は他の人にも優しくて、その事をつい忘れてしまいそうになる。 真実は残酷だというのなら、きっと嘘は優しいのだろう。 だから優しさは嘘だ。 いつだって期待して、いつも勘違いして、いつからか希望を持つのはやめた。 訓練されたボッチは二度も同じ手に引っ掛かったりしない。 百戦錬磨の強者。負けることに関しては俺が最強。 だからいつまでも優しい女の子は・・・嫌いだ。

思えば自分もそんなふうに考えている節があると思ってしまった.俺が思うにこの作品の主人公に共感するような人間はろくな学生生活を送っていないとおもうのだが.

だが俺の結論はこの主人公とは違う.

そもそも男に生まれてしまっているので,女性の美しい髪を見ればドキドキするし,完璧に調節されたポニーテールに興奮するし,スカートを履いている子がいればふとももに目がいくし,話しかけられれば緊張するし,歌声を聞けば心が安らぐし,一緒に食事すれば楽しいし,携帯に保存した写真を眺めていても幸せだ.

もちろん今挙げた例はごく一部だし,どのくらいの感情を抱くかというのには個人差がある.

しかし,女性のことを考えるなどということは男性という自分に最初から組み込まれていることの衝動によるもので,俺自身の本意は違う.俺にはやりたい学問や研究があるし集中したい事柄が他にある.女性のことを考えると非常に良くない.どきどきしている時は冷静な判断力を失うし,感情に思考を支配されれば合理的判断を失う時もある.

だから女性は嫌いだと言ってしまうのもなしではないが,人に原因を求めるのは俺のやり方に反するのでここは自分が男に生まれたことを恨むことにしようと思う.

もし俺がが超絶イケメン男子で学問に励むこともなく年をとっても,イケメンフェイスと華やかな学生生活で培われた社会性を引っさげて企業の面接にいき就職できて,生きていけるならきっとこんなことは考えなかっただろうが,俺は十分勉学に励まなければいけないし,華やかな世界で生きている人たちに置いていかれないように頑張らなければいけないと思い今日しなければいけないことを考える.

絶対に好きになってしまう女の子を考える委員会(仮)

そういう委員会の話

この記事では絶対に好きになってしまう女の子について綴っていこうと思う。

絶対好きになってしまう女の子とは

男子諸君、女の子を好きになってことあるかい??もちろんあるだろうね!!!俺もある!!!!さて、好きになるならなるで何かしらきっかけがあるだろう、この委員会では男子をイチコロにできる女の子についてまとめ、最強の女の子を考えていこうというものである。

ルール

この委員会では性癖及び個人的趣味は扱わない。基本は絶対に大部分の男子が好きになってしまうものについて考えているので、個人的趣味ではダメなのだ。線引きが難しい時もあるかもしれないが、きちんと吟味できれば良いと思う。

具体例

萌える女の子はどんな女の子なのか!

「俺を萌えさせてみろ!!!」(旦那が何を言っているかわからない件 十一より)

  • シャンプー、ボディーソープのいい匂い
  • 女の子らしい小走り
  • 絶妙に調整されたスカート
  • マフラー
  • 萌え袖
  • 上目遣い
  • もみあげをかきあげて耳にかけながら物を食べる

まだまだある気がする。また別の記事で書こう。

反省点、問題点

なぜこの委員会が(仮)なのか、それは単純にネタ不足というか俺が知っている萌えだけでは、委員会としてドヤれるほど萌えについて網羅できないからである。

 

全く自分の経験の少なさに腹が立つぜ、強力な仲間を求めています。

趣味

趣味

私の趣味は物事を考えることです。

理由はわかりませんが、不思議だと思ったことについて考え、時には調査、実験を行なって結論を導き出すことを、気がついたら繰り返しているので、多分それが私にとってやっていて楽しいこと、すなわち趣味であると思います。

いろいろな不思議

生きていると色々不思議なことがある。

不思議といえば”ニュートンがりんごが木から落ちることを不思議に思った”ことを連想するのですが、私にとっての不思議は物理学者や科学者の考えるそれほど、難しいことではありません。

なぜ自分は最近ラムネばかり食べているのか、なぜ毎日遅刻するクラスメイトは毎日遅刻してしまうのか、なぜ女性は恋愛の話ばかりするのか、そんな、人の行動選択における疑問が私にとっての不思議です。

最近疑問におもったことは、いわゆる「気を病んでいる」人たちがいることです。基準は自分です。自分は気を病みませんので疑問に思います。

考えてみる

思えば私はあまり物事を不快に感じません。物事を大きく捉え、事の小ささに呆れて大概なにも思いません。「死ななければいい」とよく言っている気がします。

そもそも、結果に感情を抱くのではなく、結果を得られたということに喜びを感じている気がします。

私は生きることが楽しいので、生きている上で何があるかは大した問題ではないと思います。やってみて、結果を見届けることが楽しいです。

科学者になったつもりで考えてみましょう。今日の実験は「一定の条件下で何分茹でたゆで卵が一番美味いか」です。まず三分とか適当に時間を設定して試してみるわけです。そして食べる。美味いか不味いか記録して、次の時間を試す。そんなことを繰り返すわけです。卵が好きなら絶対この実験は楽しいですね。間違いねえ。

果たしてこの科学者は、とある時間で茹でた卵が不味かった時、それを悲しいとか思うでしょうか、実験を行なっているという大きな楽しみに比べれば、結果がどうだったかなどといううことはどうでも良いことだと私は思います。

実際に私の生活もそうだと思います。時には失敗することや上手くいかないこともあります。でもまだ自分は生きています。さっきのゆで卵の例でいうなら、茹でる時間を変えればいいのです。何も落ち込む必要はありません。次上手くいくようにするためにどうすればいいか考える。そしていい結果が出るまで探求し続ける。

私の生き方がこの考え通りなら、死んでしまうまで私は大して物事を不快に思いませんね。

というわけで私が気を病まない理由がなんとなくわかりました。気を病む人のことはわかりませんが。仕方ないですね、調査していないものは考えようがありませんし。

自分のことを少しわかれた気がするのでまあ良いかなと思います。

さいごに

ブログを書くと自分が文章を書くこと向いてねえのかなと思う。マジで。無限に横道にそれるし、最終的に何が言いたいのか全然わからん気がする。いわゆる他で見る読み物のようにならない。思いついたままに書いている以上仕方がないとは思うのだが、、、

女心をわかってる男でびびっときた

 

「女心をわかってる男」

これ、ちょっと考えてみるとかなりおかしいことだということに気がつく。

なぜなら男は男なので女の心の構造が理解可能なわけはないのである。なぜなら、男と女は生まれた時点から生物学的に別のつくりをしているし、教育、経験の内容が男女によって異なるからである。

でも実際のところ、世間には「女心をわかってる」という言葉が存在する。これでは矛盾が生じているようにも思う。だが別に矛盾しているわけではない。

これは男が学習によって女心とはどういうものかについて理解することで、それに合わせて行動することが可能であるからである。本心で理解しているわけではない、学習によって”対応”を行なっているのだと考えれば筋が通る。

さて、ここで新たな疑問が生じてくる。学習を経て行なった対応によって女性の感情に影響を与えていることはひどいことではないのだろうか、なぜなら、本心ではわかっていないのにわかっているふりをして、実際のところ女性には「この人は女心のわかる人だ」という認識を与えているからである。

「女心をわかっている」ふりをしている男性は、本心で理解しているふりをしている。これをされている女性は不幸だろうか、男性が渾身の努力によって演じている「女心をわかっている」男は女性を不幸にするだろうか。

無論幸せだろうな、むしろ不幸なのは労力をつかっている男性の方だ。だいたい破局するパターンはここで労力を使っている方のパートナーに限界が訪れた時に起こると思う。

 

そんなことを考えた。

 

 

WindowsとMacの話

これはもうパソコンオタクのブログでは避けて通れない記事の一つだと思っています.

まあ結構Windowsが良いだとかMacが良いだとかいう記事を見かけますが, この記事ではどっちがいいとかは言いませんので,どっちをひいきにしてる人もまあそこそこ 楽しめるんじゃないかなと思います.

ただ,別にものすごく深いところの話をするわけではないので,超がつくほどのパソコンに詳しい方は面白くないと思います.

あと個人的な意見が多少含まれますので,ああそういう奴もいんのかぐらいで読んで下さい.

MacWindowsの違い

操作感

私は両方使っていますが操作感は別に甲乙つけるほどのことでもないと思います.

Macトラックパッドジェスチャー機能の操作の素晴らしさは常々感じていますが, かと言ってWindowsトラックパッドが致命的に使いづらいかって言えば大したことはないです.慣れです.使ってしまえばそっちに慣れます.

最近私はWindowsではファイル名を指定して実行,MacではSpotlightという機能を使っていたり,Alt+Tabおよびcommand+Tabのショートカットを使用しているので カーソルの移動以外であまりトラックパッドに触れないので割とどうでもいいと思っています.

アプリケーション

Macbook Airを買うときに結構調べて書いてあったことなのですがフリーソフトの中にはMac版がないものが多く, 使いたいソフトが使えないことがあるということです.

例えば,Aviutilという動画編集のフリーソフトがあるのですがそれはWindows用のソフトウェアでMacでは使用できません.

確かに困ります.代わりになるソフトはあったりするのですが,操作感の違い等もありますので,一概に妥協していいとは思いません. まあでもこれはもう両方持つ以外に具体的な対処法はありません.残念でした.

値段

こういう比較記事を見ているとこの値段っていう項目をよく見るんですけどなんなんですかね.

実際に市場をみればわかりますが”Macが高い”のではなく,"WindowsにはMacと同様のスペックで少し安いマシンがある"ぐらいの話です.

お金がないならMacを選択肢に入れることはできないでしょう.しかし同様にWindowsでも良いマシンは買うことができません.

パソコンは道具です.ちょっとした投資だと思って,値段ではなく,商品そのものをきちんと評価して購入するのがいいと思います.

ユーザー

私が読んでほしいのはここですね.

あんまり比較記事では見かけないのですが,正直これが一番重要だと思います.

どういうことかというと,周りに同じパソコンを使用している人がいるかいないかってそういうことです.

MacにしてもWindowsにしても,最初は結構いろいろ分からないものです.だから相談や質問ができる人がいるかどうかっていうのが大事だと思います.

例えばうちの学校ではMacを使っている人は非常に多いです.その中にはいわゆるパソコンオタクもいっぱいいますので,わからないことがあればオタクに聞けば良いのです. 親切に教えてくれます.

それに対し,Windowsマシンが全員に配布されている学校でMacを購入するのはどうでしょう.分からないことがあったときに聞ける人は,きっとほとんどいません. インターネットや書籍を読んで自分で解決する必要が出てくるでしょう.

パソコンの知識に自信がない人は,周りの詳しい人がどんなパソコンを使っているかよく見るのがいいかなと思います.仲のいい人に両方持っている奴がいれば大丈夫かもしれませんが.

どんなパソコンを買おうかまよっている人へ

詳しい人に予算や希望を言って選んでもらえばいいでしょう.きっと面倒も見てくれます.

石油王の方は両方買えばいいと思います.