女心をわかってる男でびびっときた

 

「女心をわかってる男」

これ、ちょっと考えてみるとかなりおかしいことだということに気がつく。

なぜなら男は男なので女の心の構造が理解可能なわけはないのである。なぜなら、男と女は生まれた時点から生物学的に別のつくりをしているし、教育、経験の内容が男女によって異なるからである。

でも実際のところ、世間には「女心をわかってる」という言葉が存在する。これでは矛盾が生じているようにも思う。だが別に矛盾しているわけではない。

これは男が学習によって女心とはどういうものかについて理解することで、それに合わせて行動することが可能であるからである。本心で理解しているわけではない、学習によって”対応”を行なっているのだと考えれば筋が通る。

さて、ここで新たな疑問が生じてくる。学習を経て行なった対応によって女性の感情に影響を与えていることはひどいことではないのだろうか、なぜなら、本心ではわかっていないのにわかっているふりをして、実際のところ女性には「この人は女心のわかる人だ」という認識を与えているからである。

「女心をわかっている」ふりをしている男性は、本心で理解しているふりをしている。これをされている女性は不幸だろうか、男性が渾身の努力によって演じている「女心をわかっている」男は女性を不幸にするだろうか。

無論幸せだろうな、むしろ不幸なのは労力をつかっている男性の方だ。だいたい破局するパターンはここで労力を使っている方のパートナーに限界が訪れた時に起こると思う。

 

そんなことを考えた。