趣味
趣味
私の趣味は物事を考えることです。
理由はわかりませんが、不思議だと思ったことについて考え、時には調査、実験を行なって結論を導き出すことを、気がついたら繰り返しているので、多分それが私にとってやっていて楽しいこと、すなわち趣味であると思います。
いろいろな不思議
生きていると色々不思議なことがある。
不思議といえば”ニュートンがりんごが木から落ちることを不思議に思った”ことを連想するのですが、私にとっての不思議は物理学者や科学者の考えるそれほど、難しいことではありません。
なぜ自分は最近ラムネばかり食べているのか、なぜ毎日遅刻するクラスメイトは毎日遅刻してしまうのか、なぜ女性は恋愛の話ばかりするのか、そんな、人の行動選択における疑問が私にとっての不思議です。
最近疑問におもったことは、いわゆる「気を病んでいる」人たちがいることです。基準は自分です。自分は気を病みませんので疑問に思います。
考えてみる
思えば私はあまり物事を不快に感じません。物事を大きく捉え、事の小ささに呆れて大概なにも思いません。「死ななければいい」とよく言っている気がします。
そもそも、結果に感情を抱くのではなく、結果を得られたということに喜びを感じている気がします。
私は生きることが楽しいので、生きている上で何があるかは大した問題ではないと思います。やってみて、結果を見届けることが楽しいです。
科学者になったつもりで考えてみましょう。今日の実験は「一定の条件下で何分茹でたゆで卵が一番美味いか」です。まず三分とか適当に時間を設定して試してみるわけです。そして食べる。美味いか不味いか記録して、次の時間を試す。そんなことを繰り返すわけです。卵が好きなら絶対この実験は楽しいですね。間違いねえ。
果たしてこの科学者は、とある時間で茹でた卵が不味かった時、それを悲しいとか思うでしょうか、実験を行なっているという大きな楽しみに比べれば、結果がどうだったかなどといううことはどうでも良いことだと私は思います。
実際に私の生活もそうだと思います。時には失敗することや上手くいかないこともあります。でもまだ自分は生きています。さっきのゆで卵の例でいうなら、茹でる時間を変えればいいのです。何も落ち込む必要はありません。次上手くいくようにするためにどうすればいいか考える。そしていい結果が出るまで探求し続ける。
私の生き方がこの考え通りなら、死んでしまうまで私は大して物事を不快に思いませんね。
というわけで私が気を病まない理由がなんとなくわかりました。気を病む人のことはわかりませんが。仕方ないですね、調査していないものは考えようがありませんし。
自分のことを少しわかれた気がするのでまあ良いかなと思います。
さいごに
ブログを書くと自分が文章を書くこと向いてねえのかなと思う。マジで。無限に横道にそれるし、最終的に何が言いたいのか全然わからん気がする。いわゆる他で見る読み物のようにならない。思いついたままに書いている以上仕方がないとは思うのだが、、、