彼らはなぜ交際するのだろうか
ストレス発散
受験勉強ばっかしてて気がおかしくなりそうなので、ストレス発散のために手を動かして心を落ち着けようと思う。 この記事に書かれている内容は全て私の考えであり、事実に基づく結論ではないことをご承知おきください。
本日の着火剤
本当に好きなら「時間無くて会えない」なんて言葉は間違っても出てこねえよ。
— ニャン (@radran10) 2018年4月28日
好きと会いたいは関係ねえよ。少なくともその好きは好きという意味を持っているわけではない。それはあくまで、お互いの欲求が均衡していることを示す合言葉に過ぎない。
なぜ交際するのか
もう大学2年の年齢ともなると、周囲の人間は皆男女で交際する。別にそれを悪いことと思っているわけではないが、僕は彼らがなぜ交際しているかに興味がある。僕が考える大きな理由はこれだと思う。
ある決まった個人と関係を結ぶことにより外的視点からの、ある行動していることの妥当性を獲得するため。
僕は「妥当性」という言葉に最近ハマっている。この世界では妥当であることは正常とみなされ、妥当でないことは異常であると判断される。もちろん、人に対しての正常、異常といった感情はその人の評価に直接影響を与えるものであり、誰でも皆に正常という判断を下して欲しいと思っている。よって、人が選択するほとんどの行為はあらかじめ妥当性、動機、理由などを含むものになる。特に公共の場であり、多数の人に目につく場所では人は妥当性のない行動を取りづらい傾向にあると言える。
僕は交際というのは一種の妥当性を獲得するための関係だと考えている。「彼氏彼女」という言葉が存在し、様々な絵画、音楽、映画、ドラマ、漫画などの創作物によって、皆それのイメージをある一定のレベルにおいて持っている。つまり、そういった創作物の中に描かれる「彼氏彼女」といった関係において行われる行動の数々は、ほとんどの人にとってそういうものであって当たり前のものだと認識されているということだ。
さて、では交際している男女が創作物の中でどのように描かれているか思い出してみよう。もちろん、現に交際している人たちを考えても良い。
- 登下校、出勤、退勤を共にする
- 共に食事に行く
- 互いの自宅へ行く
- プレゼントや金銭をお互いに交換する
- 財産を共有する
- 悩みを相談する
- 性交渉をする
- お互いについてよく話す
- 深夜に電話を交わす
- 交際相手の話を友人にする
- 交際相手を持たぬものを差別する
この中に何か自分のしたいことがあればその妥当性を手に入れるためにきっと彼らは交際相手を探すだろう。けどそれは交際相手が好きであるということとは、直接関係がない。もし、彼らが本当に好きだというのであれば、それはあくまでも「好き」で終わる話であって、交際という形態をとる必要はない。
行動の妥当性と生物の意思
ありがちな不倫や浮気を考えれば、わかりそうなことである。60過ぎた男がキャバクラに行くのは自分の妻に若々しい女という成分が失われており、それを求めるからである。彼女がいるのに、風俗に行く奴は、彼女のそういった部分に不満があるからである。予定を合わせてくれない交際相手は、あなたとの予定が退屈なものであると考えているからである。何も難しいことではないし、そうあって当然のことである。
自分の心に正直に生きていればまずそのような約束を交わすとは思えないが「浮気をしない」などという約束は決してするべきではない。浮気して当然である。人は飽きるし、人は常により良いものを求める。だれにだってその権利があり、そういった思考が生物として進化する上で間違いなく必要である。もちろんこれを理性や何かしらの対処を行うことで回避することは可能かもしれないが、そういった、生物として遺伝子の目的に背くような生き方は心身に負担をかけ、健康な生活を阻害すると僕は考える。
無理をして生きることは決してプラスにはならない。我慢は必ず命を短くする。早死にしたいなら好きにすればいいが。少なくとも僕は常に良いものを求め続けたいし、長生きもしたい。
あなたはなぜ交際したいと思うのか、どうか教えて欲しい。そしてそれが単なる自らのエゴを満たすためだけのものでないことを証明してくれ。
まあお互いにエゴを満たす関係で均衡が発生するから、交際は成立するのだとおもうけどな。