すぐに別れるカップルと長く続くカップル

今日の気分

今日は色々楽しかったし、新しい計画を作ったり明日が楽しみになる1日でとても有意義で気分が良いのでこのテンションで思いついたことを忘れないようにかきとめようという気分。

インターネッツでよく目にするよねこれ

インターネッツでよくみかけるこれ、よく別れるカップルと長く続くカップル。結構好きです。なんで今日はこれを取り上げようかと思ったかというと、この手の話の特徴は、論理が超越していて、なぜそうなのかという論理的な説明に欠けている点が多いところです。僕は理系ですし、非論理的でありながらに相関がある情報を目にすると、その因果関係を論理的に解き明かしたいと思ってしまうのですよ。

具体例を挙げた考察

さて、少し調べればいとも簡単に出てくるのでその中の一つを取り上げて考えてみよう。

デートの予定が多いカップルは早く別れる、長く続くカップルはたまにしかデートしない

完全にぶっ飛んでる。論理破綻し過ぎ。もちろんデートばっかしてる長続きするカップルもいるとは思うが、ここはこの内容が多少なりとも相関を示すものであると仮定して考える。 考えられる要因はいくつかある。そのためにまずデートの予定が多い場合についてそれによる生活の変化について具体的に考えてみる。例えば、デートの回数が増えればその分だけデートについて考える必要がある。これは非常に生活上の負担が大きい。もちろんノープランという場合もあるだろうが、ここでは考えないものとする。

ちなみに僕の考察はあくまで相関を論理的に説明することが目的なので少数意見については考慮しないことが多い。

話を戻そう、単純に回数が増えればともに過ごす時間が増加する。ともに過ごす時間が長いほど話す内容がその分必要になる。当然、会話を飽きないようにするためにはそれなりのネタが必要になり、それも考えるとなるとこれも生活上の負担になり得ないとは言えない。

以上の考察より、デートの回数が増加することにより生活上の負担が増加する可能性を指摘することができた。しかし、なぜデートの回数が増加するかについて導くことができなければ、「早く別れるカップル」がどのような傾向を持っているかを具体的に知ることはできない。次は別の例を挙げて、考察してみる。

SNSに頻繁に二人の写真を投稿するカップルは早く別れる

LINE等のアイコンに二人の写真を使うカップルは早く別れる

つぎは写真系である。もうお分かりかもしれないがこの手の話はどうにも「早く別れるカップル」に焦点を当てていることが多く、「長続きするカップル」というのはただの「早く別れるカップル」に見られる傾向が見られないという表現の場合が多く、ずさんである。

二人の写真をSNSに投稿することや、LINEのアイコンに設定することの目的として考えられる主なものは「二人が交際していることを周囲の人間に認識させる」ことであると考えられる。ではなぜ交際していることを周囲の人間に認識させる必要があるのか。その理由はおそらく人によって様々であると思うがおそらくその基底は「自分はカップルである」ということを周囲に認識させることに何らかの目的意識があるからであると思う。

さて、ここで前に考察したデートの話に戻ってみよう、二人の写真というのは基本として二人のデートのなかで作られることが多いだろう。つまり、この二つの項目は関係性を持っている可能性が高いと考えられる。

ではデートをしてその写真を投稿する一連の流れの目的はどうだろうか、例えばだが、「デートをする」ことに重点を置いているならば、二人の写真を撮ることやその写真を投稿することはおまけに過ぎないことになる。逆に、写真を撮るため、あるいはSNSに二人の写真を投稿するためにデートしているとも考えられる。さらにいうなら、デートするために交際しているとした場合の交際している目的は、前者はデートが目的となるが、後者ではSNSに写真を投稿することが目的である。

これはいささか不自然にも思える。果たしてSNSに投稿する写真において、カップルなどという限定的な関係の相手の個性は重要だろうか。もちろんデートすることが目的なのであればデートをしていく上での感情の変化など、十分に個性が要求されるだろう。しかしSNSに投稿する写真に映るパートナーは果たしてパートナー以上の個性を持っているだろうか。もちろん、骨格、表情、服装などは違うだろう。しかし写真は加工を施すことができ、近年では若い女性を中心に簡単に加工を施すことができるアプリーケーションが広く知られており、実際に使用されている。そんな中で、個性などというものを見出せるだろうか。(ここでは実際に個性が見出せるかどうかについては考察しない。)

つまり極端な考え方をすれば、SNSに投稿する写真を重要視している交際関係において、個性はほとんど意味を持たないことになる。では、個性に重点を置いていない交際関係はどうだろうか。しかし個性に重点を置かないということは、異性であればその価値はほぼ全て等価であるとみなすということだ。つまり、この世の中に現時点で交際している異性と別の人間が存在する限り、その役にはいくらでも代役が効くという風に考えることができる。つまり、現時点で交際している人間との交際を維持する重要度はさほど高くないことになる。ここまでくれば、早く別れるカップルの理由として十分なものであろう。論理完成。

あとがき

別にこの記事では早く別れるカップルがよくないとか、長続きすればいいとかそんなことには全く触れていないし、僕も実際興味がない。良いとか悪いとかいうのは個人の感想に止めておくもので公にそんなことを言っても人の考えがそれぞれである以上、大した意味がない。

僕は考えるが、いつだってそれが正しいわけじゃないことを知っている。けれど最初は正しいと信じている。そしてそれが正しいと分かったとき僕は幸福だろう。しかしそれと同じくらい自分が正しくなかったことがわかった時もまた、幸福なものだと思う。科学者なら、結果ではなく結論に感情を揺さぶられるべきだと思う。それが研究を長くやっていくには必要だと思う。僕の中学生の時の理科のレポートには「予想」と呼ばれる項が存在した。時にはそれが正解で、時には間違いだった。間違いだった時はかなり悔しかった。でも結果として僕は何が正しいかを知ることができた。別に理科に限らずとも、予想が現実と違うことは多々ある。別に間違えたっていい。何が正しいかわかれば、それが一番気持ち良いから。

僕の予想を根拠と論理による証明で正しいとか間違っているとか言ってくれるなら、是非言って欲しい。僕が探しているのはそれだから。