善悪についての考え方

はじめに

これをお読みの方は善悪について考えたことがあるだろうか.なお,この時点で興味がない人はさっさと別のことをした方がいい.時間の無駄だと思う.なお,この記事を読んであなたが人生の貴重な時間を無駄にしたとしても,それはあなたが判断を誤っただけのことであり,当方に責任を追及されても,その損害を補償すること決してない.ご了承いただきたい.

なぜこの記事を書いているのか

Twitterでよく見る物申すマンのツイートをみて,思ったことを書き留めようと思ったからです.

実例

みなさんついこの間「天ぷら屋合コン事件(私が今考えました)」というのがあったのはご存知だろうか.

ことの概要は以下の通りである

合コンで天ぷらやを訪れた女性が提供された天ぷらの衣を剥がして食べていたところ,店主に店からつまみ出された.

とまあこんな感じであった. 母とこの事件に関する特番を見ていて,店主と女性,どちらが正しくて,どちらが悪いかという話が議題に上がっていた.

そこでの内容は大体以下のような感じである

天ぷら屋は失礼な行為をする客が単純に許せなかった.勿体無いし,天ぷらやとして誇りを持っている料理人を相手にするにしてはあまりにひどいことだと思うから女性が悪い.

女性はお金を払って天ぷらを食べているのだから,提供された料理をどうしようと勝手である.つまみだうのはおかしいと思うから,料理人が悪い.

まあこの2極にはなしが分かれる.

はたして,どちらの言い分が正しいのか.などという番組をやっていたのです.

なんて生産性のない議論だろうと思いました.なぜなら,その番組で討論している人たちは,自分の論理で持って相手を打ち負かすゲームをしているだけで,結果として番組が終了しても,その結論は出なかったのですから.

考察

そもそも,なぜ結論が出ないのかは明白です.テレビに映っている人たちは全員それに気がついていなかったのでしょうか.この話には,全員が納得する結論も,十分な根拠に基づいた善悪の判断も存在しないからです.

なぜなら,どちらも自分の要求を通すために行動したのみであり,相手に損害を与えるために行動した訳ではなく,法律によって裁かれた訳でもないのですから.

法治国家日本における悪とは,裁判等を通して罰を受けるに相当したものであり,法律の関わらない範囲での人々の揉め事などというのは,結局のところどちらが要求を通すことができたのかという点に収束します.

もし,個人間で揉め事があった場合,悪者にならないために気をつけなければならないことがあるとすれば,名誉毀損や,暴行罪などでしょう.これ以外に関しては,正直何をしようが関係ありません.もちろん,損害を発生させ民事裁判で負ければこの限りではないのですが.

Twitterで物申すマンについて

名誉毀損や信用毀損罪,威力業務妨害などに注意した方がいいと思います.これにさえ当たらなければたとえ5億回リツイートされたとしても,あなたが悪になることはないでしょう.

まとめ

誰が良くて誰が悪いとかいう議論をしても結論はおそらく出ない.そんなんで解決したら法律はいらないんですわ.多分.

善悪に人類ないしは国民全体で共通の意識など存在しません.もし,自身の行動などに関して,善悪の判断をしなければいけない時が来たら,その時は自分の感覚に身を委ねるのが,気持ちよく生きるために必要なことだと私は思います.

だって日本の法律じゃ人を殺したら殺人罪ですが,ジャングルでライオンがシマウマを喰ってもだれも罰則は与えないでしょ.